大切な家族である2頭の愛犬ぽちくん&ちぃこ。 ぽちくん亡きあとひとりっ子になったちぃこのわがままいっぱいな日々をつづる、 「老犬介護な日々」番外編(2008年6月2日夜、ちぃこはぽちくんの住む国へ旅立ちました)。
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お母さんになれた?
2008年09月21日 (日) | 編集 |
9月21日

けさ7時20分ごろ、関東方面で地震がありました。
お散歩から帰ってきて、私はお台所で朝ごはんの用意、びーはリビングのソファに乗っかって、いつものようにお庭を眺めていたときのことです。
ゆっさゆっさという揺れ方ではなく、いきなり「ずど~ん!」という感じの揺れが来ました。
地震が苦手な私もびっくりしたけど、びーはもっとびっくりしたみたい。
ソファを飛びおりて、私のもとにすっ飛んできました(笑)。

幸い、揺れはすぐにおさまりました。地震自体大したことないとわかって、私はすぐに落ちつきましたけれど、びーはそうはいきません。
私の足元で固まっているので(笑)、私もしゃがみんこんで、しばらくびーを抱きしめたり、頭なでなでしたり。。。
気づいたのですが、びーは何か恐いことがあると、体の一部を私の体にぴた~っとくっつけてきます。カミナリが鳴ったときがいい例ですが、きょうも同じです。
そのあとしばらく、さりげなく私にひっついていました(笑)。

突然の揺れにびっくりして、一目散に私のもとに飛んできたびー。
そして、私のそばを離れようとしないびー。
何だかね、ちょっとうれしくなりました。

びーが我が家に来て、間もなく丸3ヵ月がたちます。
成犬からの飼育の場合、信頼関係を築くのに時間がかかると思うのです。
だから、ちぃこが永眠して、びーを引き取って以来、ブログで自分のことを「かあちゃん」「お母さん」と書くことに、ちょっとためらいがありました。
私はまだまだ、びーのお母さんになれていないよなぁって気がしていたから。。。
でも、けさのびーを見ていて、あの子もちょっとは私のことを信頼してくれるようになったのかな、ちょっとだけそう思うことができました。

ねぇ、びーちゃん。
私はあなたのお母さんになれた?
これからは「お母さん」って書いてもいい?

びーは返事をしてくれません。
でも、こんなささやかなことがうれしい、単純な「お母さん」です(笑)。

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1週間ほど前に撮影したびーの後ろ姿。
いつもこうやってお庭を眺めています。
9/15に病院で体重測定したところ、18キロ弱でした。

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こっちは我が家に来て間もないころのびー。
比べてみると、お肉がついてきているのがわかります……よね?
びーちゃん、あと1キロぐらい太ろうか?(←う、うらやましい。。。)

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どうして?
2008年09月19日 (金) | 編集 |
9月19日

毎日新聞で、森絵都さんが1年間にわたり連載されてきた「君と一緒に生きよう」が、きょうで最終回を迎えました。
これまでの連載は、悲惨な状況で生きてきた犬たちが、心ある方々に保護され、新しい飼い主さんのもとで幸せをつかむという、悲惨な中にも救いのあるエピソードが中心でした。でも、森さんいわく、「それはごくごくひと握りの幸運な例にすぎず、大多数の捨て犬は救済を待てずに死んでいく」のが現実です。
最終回は、「人間の気まぐれで飼われ、捨てられ、センター(保健所)へ収容された犬はどうなるのか?」、その現状を伝えるものでした。

年間万単位の子が殺処分されていることを知らなかったわけではありません。ただ、余りにもつらいので、そういうたぐいの記事や本を読むことは、できれば避けたいと思ってきました。
ですが、森さんは書いていらっしゃいます。「無理強いはできない。けれど、できれば目をそらさないでください」と。
とてもつらいけれど、私も目をそらさずに、現実をしっかり見なくてはいけないのかもしれない……そう思って読んだのはいいけれど、通勤電車の中で読んだのはまずかったと反省しています。電車の中で泣くわけにはいかないものね。。。

いわゆる「保健所」は、ある意味、必要悪の存在だなぁと思います。
身勝手な理由から持ち込む人もいるとは思うけれど、中には、どうにもやむを得ぬ事情があり、ご自身も身を切られるような思いをしながら、愛する子を持ち込む飼い主さんもいらっしゃると思うのです。
でも、そういう「もう、ほかに手だてがない場合」だけに絞り込めば、処分される子は激減するのではないでしょうか。
また、そうすることで、最後まで苦痛を伴う炭酸ガスでの処分ではなく、せめて安楽死をさせてあげることも可能になるではないでしょうか。どんな状況にあるにせよ、最後は、せめて穏やかに逝かせてあげたいと思うのです。

人を殺せば罪になるのに、対象が犬(動物)ならおとがめなし。
それって、何かおかしくはないでしょうか。
命ある存在であることに、何ら変わりはないはずなのに。。。

・その子の命に対して最後まで責任を持つこと
・途中で投げ出さないこと
・その種の特性に合ったお世話(適正飼養)をすること

これ、動物を飼う上で、最低限やるべきことだと私は思っているのですが、そんなに難しいことでしょうか。
飼い主さん一人一人が「その子の命に対して最後まで責任を持つこと」を実践すれば、不幸な末路をたどる子はいなくなるはずです。
そんなに難しいことではないと思います。それなのに、どうして、それができないのでしょう。

もう一つ、目をそむけてはいけないことがあります。
身勝手な理由で持ち込まれた子を「職業」として処分しなくてはならない方々のお気持ちを、私たちは考えなくてはいけないと思うです。
どうして、それを思いやることができないのでしょうか。
また、そんなことが「職業」として成り立ってしまう社会、何かおかしくはないでしょうか。

そして……見捨てられた子たちは、最後に何を思って旅立っていくのでしょう。
「どうして、僕はここにいるの? ここはどこなの?」
「どうして、おうちに帰れないの?」
「どうして、お散歩に連れていってもらえないの?」
「どうして、遊んでもらえないの?」
「どうして、いつもみたいになでなでしてくれないの?」
「どうして、お父さん、お母さんは僕を迎えにきてくれないの?」
「もしかして、僕は要らない子なの? でも、どうして? 僕、何か悪いことしたの?」

どうして?
どうして?
どうして ……?


人間の勝手な理由で保健所に持ち込む前に、どうか考えていただきたいのです。
自分が「この子」を見捨ててしまったら、その先に待っている運命がどんなのもであるのか。
自分がしたくないことを、「職業」としてしなければならない人の気持ちがいかばかりのものであるのか。
何より、たくさんの「どうして?」に答えることができますか?
ひたすらまっすぐにこちらを見つめるあの子たちの目を、信頼する心を、裏切ることができますか?

お誕生日
2008年09月08日 (月) | 編集 |
9月8日

きょうは父のお誕生日です。
平日で仕事があって実家に行くことができないので、夜、父に電話で「おめでとう」を伝えました。

少し耳が遠くなっている父との会話には、私も少々声が大きくなってしまいます。
いつもより大きな声で、受話器に向かって「ハッピーバースデー お父さ~ん!」と歌う娘。
そのかたわらで、なぜか「わん!わん!わん!」とほえまくるびーくん(笑)。
私の耳には、玄関の前を横切るねこちゃんに向かって、あるいは、家の前を通りかかる人に向かって番犬的にほえているとしか思えないびーの鳴き声です。
でも、父の反応はちょっと違いました。いとも脳天気に、「お、ワン公もおとうに『おめでとう』って言ってるみたいだな~」と言ってのける我が父です(爆)。

お父さん、幸せな誤解をあえて解く必要もありませんよね。
まだ会ったこともないあなたの孫のびーくんは、きっと、「じーちゃん、お誕生日おめでとう!」って言っていたのよね。

080722 001
じーちゃん、僕、びーです。会える日を楽しみにしてます。

改めて、「お父さん、お誕生日おめでとうございます。どうかどうか長生きしてね」  ~できそこないの娘より~

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